【2017年11月刊】駐在員を教育するぐらいなら現地社員を教育せよ? 3
十月後半は日本に滞在していました。運動会シーズンなのに雨空が二週間近く続いた挙げ句、大トリは季節外れの超大型台風。関西はコースから外れていたため無警戒でしたが、記憶する限り人生で初めて怖さを感じる台風となりました。子供の頃は台風と聞くと(不謹慎ですが、一部の皆さんは同類かも)血が騒いだものですが、今回は「硬いものが飛んできたら、車や窓のガラスはアウト」とか「築五十年の戸建てが持つのか?」と感じるほど、異常な風音が長時間続きました。年配の一人暮らしの方が早めに避難所へ退避する気持ちがよく分かりました。
比較すると、天津は過ごしやすいなぁと思います。大気汚染の問題さえなければ、元々の気候は年中カラッとしていて、台風や大雨などの自然災害もほとんどない。冬は集中暖房があるため、むしろ暖かい。製造業は超厳格化された環境対策で大変な情況にありますが、長い目で見れば日系企業にとっては有利。どうせ厳格化するなら、青空を取り戻すまで進めてほしいと思います。
さて、「組織管理において日本人駐在員がボトルネック化」しているのではという話。本当にそんなことがあるかどうか、前回まで具体例を挙げましたので、今回は落とした皆さんのフォローではありませんが、別に駐在員としてやってくる皆さんのレベルが落ちたわけではない、という話をしたいと思います。
駐在の難しさは十年前より上がっている
組織管理において、日本人駐在員がボトルネック化しているとすると、原因は大きく二つ考えられます。一つは、組織管理という観点で、駐在員のレベルが以前よりも低下しているのではないか。もう一つは、組織管理の難度が上がっているのではないか、です。私は後者が原因として大きいと考えています。具体的に見ていきましょう。
要因① 成長期が終焉した
私が初めて天津を訪れたのは2003年。TEDAでは土を運ぶダンプトラックの列が、土埃を巻き上げていました。市内の道路には古いタクシーとわずかな輸入車しか走っておらず、渋滞という概念はありませんでした。コーヒー中毒の私にとっては、目にするすべてのコーヒーが「三合一(砂糖・脱脂粉乳入りのインスタントコーヒー。なぜここまで味を落とせるのかというぐらいの味で、土っぽい水道水でつくるため、最高の相乗効果を生んでいた)」というシビアな環境。国際大厦のスターバックスを発見したときは、驚きと感動で胸が一杯になりました(正直に告白すると、見た瞬間は、外観のしょぼさと誰もいない店内の様子から、偽物を発見した驚きが襲いました……)。
当時は、外資系企業で働くのが憧れであり、開発区まで通勤バスで通うことが一つのステータスでもありました。工場の入口に「現場工募集」の貼り紙をすれば、100人以上が列を成し、平日も土日も一生懸命残業に励む姿がありました。当時の最低賃金は520元。お会いする皆さんが口々に「天津は産業基盤の割に人件費が安い。進出するとしたらこれが理由だよね」と言っていたのが懐かしいです。いまは2050元、当時の四倍に上がりました。
書いていると当時の光景が頭のなかで再現されます。土埃、穴が空いて道路が見えるタクシー、垢抜けないデザインの家電、人民公社時代を彷彿とさせる親近感ゼロのサービス……。日本人にとって生活は不便な環境でしたが、これから豊かになるんだという熱気や希望が街全体にあふれていました。
こういう時代には、こういう時代の大変さがありました。でも、教育や動機づけをしなくても、若い従業員たちはやる気にあふれ、採用も解雇も経営者の自由でした。黙っていても、みんなが前を見て進む時代だったのです。
2017.11 Jin誌